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「空気を読まなければならない」ことが苦手な件

「空気を読め」という言葉がなにを意味するのかというのを数日ずっと考えていた。

いろんな意味を含んでいるけど、状況を観察して適切に行動しなさい、という場合もあれば、私の(私たちの)状況を言わんでも分かれよ、という場合もあってややこしい。

前者であれば、状況を考えなさいという指示でよいはずだが、このふたつを同時に使うことによって、後者の「私の(私たちの)ことをわかってしかるべき」というのがカモフラージュされてみえなくなる。その構造がとっても日本的な言い回しだなと思う。

ここで日本的というのが悲しいけれど。

 

私は空気を読まなければいけない場というのは、マウンティングしたりされたりで、暴力的なにおいがするのでとても苦手である。マウンティングされるのがとにかくものすごく嫌い。

しかし、その最たるものが「学校」だったりするので、学生時代は本当に悲しい思いをたくさんした。

 

学校という場は、意味の含みの洪水だ。

先生が、「断ってもいいよ?」と言うときは必ず、「受けてくれたら嬉しいし、内申あげるよ」がセットになっていた。

「今回は、まぁ、しょうがないね」の裏には「あいつ使えねー」が隠れていた。

あいつ使えねーと言われないために、頼まれごとは何でもやったけど、この癖が私を幸せにしてくれているとはとても思えない。

空気は必死で読んだけど、自分の意見を持っていいんだと思うまで10年かかり、自分の意見は未だに言えない。

 

空気って何なのだろうと今もまだ考えている。