幸せになるために筆を執る

みなさまお元気でしょうか。

しばらくぶりでございます。

3月は別れと出会いの季節、ということで、人間関係が変わったり立場が変わったりして仕事のことでお悩みを抱える人も多いのでは。実は私もそのうちのひとり。

今の仕事を続けていいのか、その先に何をするのか、ということは人生の節目節目で降りかかってきますよね。

私のまわりでも人生の転機と言えるような出来事が起こった人が何人かいていろんな話を聞かせてもらうのですが、自分が幸せでいるために決断をした人はやはり行動も早いです。

 

ここ数年月のリズムでお願い事をするというのを続けているのですが、お願いの最終目的である「自分の幸せ」ってなんだ??ということが意外と分からないんですよね、最初は。

あ、そもそもの話をしますが、私たちは生まれてきて何のために生きるのか、ということの答えをとてもわかりやすく提示してくれた人がいます。

この人。

世界で最も貧乏な大統領の世界一素晴らしいスピーチ - YouTube

ウルグアイのムヒカ大統領です。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

「お金が稼げるようになりたい」

「贅沢な暮らしがしたい」

それは、実は目的ではありません。

 

お金を稼いで贅沢な暮らしをすることの先にあるのは、「豊かさによって幸せになりたい」という願いがあるのではないでしょうか?

 

自分から近いの願いが「お金」であっても、遠くの「幸せ」という願いを明確にし、自らに引き寄せ近づけることで今まで考えていたお金の価値というのが変わってくることがあります。

 

 

お金が万能だと思っていた人は、受け取るお金にも色んな質があることに、気付くかもしれません。

 

贅沢が万能だと思っていた人は、お金の使い方に目を向けるようになるかもしれません。

 

自分が活躍できる職場で働きたいと思う人は、人に認められたいという自分の欲望に気づくかもしれません。

 

 

そうやって、自分の本当に望むものを明確にしていくことで、願い自体もどんどん深く、心の底から求めるものにだんだん近づいていきます。

 

いつもとちょっとテイストの違う記事になっていますが、この時期だからこそ、皆さんにお伝えできる知恵があるのではないかと思ってこれを書いています。

 

この数年、自分の望みが何なのかに向き合い続ける中で、「書くこと」の効果に驚いています。「書くこと」にはそれを現実にする力があると感じています。

なので、もしこの時期に迷っている人がいたらぜひ、自分の望みを書き出してほしいのです。

 

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まずはなにも考えず、望んでいることを○○したい、○○になりたい、○○でいたい、という形で書き出してください。

とにかくたくさん。

 

すると、同じ傾向のものがいくつか出てくることがあります。

 

それをグループ化します。

 

そのグループに名前を付けます。

 

 

すると、「今の自分の望み」のダイジェスト版が出来上がります。

この、名前を付けること、というのがとても大事なので、必ずやってくださいね。

 

 

この先、更に望みを細分化して、より具体的にしていくのですが、それについてはまた後日書こうと思います。

まずは望みを書き出すことをやってみてください。これだけでも自分の心の中が少し見えてくるはずです。

見たことのない世界が垣間見える扉

知識を得るというのは、すでに知っていることに名前を与えるという行為ではないかと思う。全く違う次元として、見たことのない景色を見に行くような知のありかたがある。

誰も行ったことのない場所に辿り着くような知のあり方。それは夢見る者達が「もしかしたら帰ってこれないかもしれない」という恐怖を伴うものらしい。

二階堂奥歯が夢見て、生きているうちに垣間見たかもしれないがそれを生きて保つことができなかった世界。

 

私は、この誰も見たことのない世界にたどり着いた者がなぜ帰ってこられなくなるのかということを考え続けていた。

 

結論からいうと、私は誰も見たことのない世界というのは、きっと全てのことを「知らない」世界だからだと思うんです。

 

全てを知らない世界ってどういうことでしょうか。私のイメージをうまく書けるかな。

そこでは、私たちはその世界を名付けることができない。

例えば私たちは目の前のグラスがグラスであるということを知っています。透明で、ガラスでできていて、ちょっと冷たくて、持つと心地の良い重量感が感じられるもの。私たちは地面が地面であるということや私たちの周りを満たしているのが空気であることとか、私が人間で名前を持った独自の個体だということなどを「知って」います。

私たちは、私たちの生きている世界のことを知っているから正気でいられる。

もし、これらの知が足元から崩れてしまったら、果たしてどうなるのでしょうか。

渡辺哲夫の二十世紀精神病理学史という本の中で引用されたアルチュール・ランボオの手紙にはこんなことが書かれています。

「‥千里眼でなければならぬ、千里眼にならなければならぬ、と僕は言うのだ。(中略)恋愛や苦悩や狂気のいっさいの形式、つまり一切の毒物を、自分を探って自分の裡で汲み尽くし、ただそれらの精髄だけを保存するのだ。(中略)彼は未知のものに達する。そして、狂って、遂には自分の見るものを理解することが出来なくなろうとも、彼はまさしく見たものは見たのである。」

 

渡辺哲夫が言うには、千里眼を阻害しているのは、普遍的知性であり、言葉であり、歴史であるといいます。この歴史というのは、地面が地面であり、空気が空気であるその前提としての人類が積み重ねてきた膨大な定義の歴史のことを言っているのだと私は理解しています。

普遍適知性、言葉、歴史を脱ぎ捨てる。そして感覚の乱用ができるまでに感性を育て、知性を世界を語るために育てた人間しか到達しえない千里眼の世界が、「誰もみたことのない世界」というものなのではないでしょうか。

 

その世界は、概念の上でしか存在できません。ヴィトゲンシュタインの文章を読んだ時に、私は概念でしかこの世に存在できないそういう世界が立ち上がってきてとても感動しました。

しかし、そこに足を踏み入れることは果たしてできるのでしょうか。そこは、「見て」そして「狂って」しまうような世界。

 

私がアイデンティティの危機を迎える時期、この扉は開いていたような気がします。

私はそこに行けなかった。

行ったらやっぱり生きて帰れないような気がした。私にとってそれは概念ではなく確かに存在する現実と地続きだと感じていました。

 

アイデンティティの危機を乗り越え、自分が自分になる時、その世界は概念として形あるものに結実するのかもしれません。

自由からの逃走と平坦な戦場

エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読んでいるんだけれども、ウイリアムギブソンのこの詩が頭の中でドッキング中。

私の頭の中では原典からの引用じゃなくて岡崎京子のリバーズエッジからの引用になってるんだけれども。

 

愛する人(みっつの頭のための声)
ウィリアム・ギブスン
黒丸尚 訳

III.

この街は
悪疫のときにあって
僕らの短い永遠を知っていた

僕らの短い永遠

僕らの愛

僕らの愛は知っていた
街場レヴェルの
のっぺりした壁を

僕らの愛は知っていた
沈黙の周波数を

僕らの愛は知っていた
平坦な戦場を

僕らは現場担当者となった
格子を
解読しようとした

相転移して新たな
配置になるために

深い亀裂をパトロールするために

流れをマップするために

落ち葉を見るがいい
涸れた噴水を
めぐること

平坦な戦場で
僕らが生き延びること


THE BELOVED (VOICES FOR THREE HEADS)
BY WILLIAM GIBSON
ROBERT RONGO: KYOTO SHOIN, 1991 

 

岡崎京子がこの詩を引用したのは、あの時代(経済成長まっただ中)の総中流社会の快適な満たされた環境のどうにもならない「毒」や「けだるさ」を平坦な戦場という言葉に託したのではないかとおもっていた。安定しているからこそ破綻の予感を社会に託すようなそんな雰囲気を。

自由からの逃走を読んでいて、ちょっと頭の中のもやもやを言語化できそうなので書きます。

 

自由からの逃走からの引用

本能によって決定される行為が、ある程度までなくなるとき、すなわち、自然への適応がその強制的な性格を失うとき、また行動様式がもはや遺伝的なメカニズムによって固定されなくなるとき、人間存在ははじまる。いいかえれば、人間存在と自由とは、その発端から離すことはできない。ここでいう自由とは「…への自由」という積極的な意味ではなく、「…からの自由」という消極的な意味のものである。すなわち、行為が本能的に決定されることからの自由である。

(中略)

中世末期以来のヨーロッパおよびアメリカの歴史は、個人の完全な開放史である。(中略)しかし、多くの点で個人は成長し、精神的にも感情的にも発達し、かつてなかったほど文化的所産に参加している。しかし他面「…からの自由」と「…への自由」とのズレもまた拡大した。どのような絆からも自由であるということは、自由や個性を積極的に実現する可能性を持っていないということとのズレの結果、ヨーロッパでは、自由からの新しい絆への、あるいはすくなくとも完全な無関心への、恐るべき逃避が起こった。

 この後に、ギルドの解体の過程で安定感と帰属感とを与えていた絆から開放され、資本主義によって経済的束縛から自由になった代償として、個人はひとりぼっちにされすべては自らの努力次第という世界へ投げ込まれることになった経緯が記述されている。

世界は際限のないものとなり、同時に恐怖に満ちたものとなった。

「…からの自由」を人間は際限なく求め続けている。幸福の飽和状態に耐えきれない感覚を私は知っている。自由は果たして存在するのだろうかとさえ思う。

ギブスンの詩の「平坦な戦場で/僕らが生き延びること」という言葉は、自由の多義性の中での自問自答のような気がしてくる。

きっと「僕らの愛」は「生き延びられない」ということを「僕」は知っている。

今がどんな時代かという問いに正確に答えられる自信はないけれども、次の「…からの自由」について考え始める時期に来ているのではないかと思う。そして世界はすでに動いている。

 

 

「空気を読まなければならない」ことが苦手な件

「空気を読め」という言葉がなにを意味するのかというのを数日ずっと考えていた。

いろんな意味を含んでいるけど、状況を観察して適切に行動しなさい、という場合もあれば、私の(私たちの)状況を言わんでも分かれよ、という場合もあってややこしい。

前者であれば、状況を考えなさいという指示でよいはずだが、このふたつを同時に使うことによって、後者の「私の(私たちの)ことをわかってしかるべき」というのがカモフラージュされてみえなくなる。その構造がとっても日本的な言い回しだなと思う。

ここで日本的というのが悲しいけれど。

 

私は空気を読まなければいけない場というのは、マウンティングしたりされたりで、暴力的なにおいがするのでとても苦手である。マウンティングされるのがとにかくものすごく嫌い。

しかし、その最たるものが「学校」だったりするので、学生時代は本当に悲しい思いをたくさんした。

 

学校という場は、意味の含みの洪水だ。

先生が、「断ってもいいよ?」と言うときは必ず、「受けてくれたら嬉しいし、内申あげるよ」がセットになっていた。

「今回は、まぁ、しょうがないね」の裏には「あいつ使えねー」が隠れていた。

あいつ使えねーと言われないために、頼まれごとは何でもやったけど、この癖が私を幸せにしてくれているとはとても思えない。

空気は必死で読んだけど、自分の意見を持っていいんだと思うまで10年かかり、自分の意見は未だに言えない。

 

空気って何なのだろうと今もまだ考えている。

木地雅映子「氷の海のガレオン」と私

 

数年前に出会って以来、頭の片隅にずっとある本が「氷の海のガレオン」である。

早熟ゆえに学校で不適応を起こして、孤独と集団の中で揺れ動くある女の子の話。

 

ちょっと自分的には濃厚すぎてなかなか踏み入れなかったのだけど、引用しながら何がそこまで私を引きつけるのか自分のために紐解いてみたいと思います。

流れるままに。

 

さて、杉子(主人公)の問題とは何なのか。

 わたしはわたしの言葉を、文学とパパとママの言葉で培ってきた。考えごとも想像も、すべてはその言葉たちで組み立てられる。それが学校では全く通用しないということに気づいたのは三年生のときだった。

主人公の杉子の言葉は大人びていて独特だが、それが全く同年代の子どもたちに伝わらない。そして杉子は同じ年頃の子どもに対して心を閉ざす。

どんな独特さか、ということはママの昔の話で想像していただければと思う。

 「あんたのママはね、昔っから『彼はいるの?』とか、『恋人いるの?』とか聞かれても、絶対にうんって言わなかった。軽蔑したような目で相手を見て、ふんっと鼻をならして、『なにそれ?』って言うのね。『あなたの言うその”彼”という言葉はいったいどういう存在を表しているわけ?』なんて言っちゃうの。(中略)

 ある日突然狂ったようになって、『アキ、あたしの言うこと解る?あたし、日本の言葉を話しているんじゃないの?どうしてだれかの話した言葉のいちいちを、これはあたしの言葉に直すとこういう意味だな、ああこれはこういうことかなって、頭の中で直さなきゃいけないの?』って泣き出したことがあってね。

 言葉のありようが、他と違うことって社会生活において結構なネックだ。

私は小学生の時に国語辞典を愛読していた、今思い返せば変な子で、まどろっこしい言い回しを好み、若干他の子どもと言葉が通じていなかった。変な子だとおもわれたくなくて、一生懸命普通の喋り方、普通の”ノリ”に合わせるよう努力した。

でも、言葉って、自分の拠り所なんですよね。

例えば、りんごが赤いと思っているひとに、りんごの青さを伝えるのはほんとうに骨が折れる。

でも、私には青く見えている部分もある。でも、それが伝わらない。

わたしの青いりんごが、この世界の中でなかったことになってしまう。

私の感じているものが伝わらないことによって、なかったものになること、それって本当に身を切られる辛さだ。どんなに言葉を尽くしても、りんごに青さを感じることがない人には、一ミリたりとも伝わらず、「普通じゃない」と言って逆に変人扱いをされる。

世の中は、感じているものを感じないふりをしたほうが、きっと上手くいくんだろうなと思った。押し殺した。笑顔で乗り切った。

「”普通”、りんごは赤です」

という前提で進んでいくのが、学校という社会なんだと思った。

 

同じ形をした人間なのに、私だけ宇宙人みたいだ。

ほんとうは今、宇宙船に乗っていて、友達と話している風景が夢の中で、宇宙人によって操作されて見せられている映像なんじゃないかと結構本気で思っていた。

だって、現実が現実だって誰が証明できる?

二階堂奥歯も「自分の見た物が、死んだ後に宇宙人に送られるから沢山見ておかなければ」という考えを小さい時に抱いていたと書いていた。言語で小さい時に苦労をすると、社会の中で宇宙人のような自分と、心理的な逃避が重なってそんな考えに至るのだろうか。)

 

私は中学生くらいまで、絶対に子供を産まないと決心していた。

私のような目に遭うのは辛すぎるし、こうやってしてまで、自分ではない人生を生きていくことに正直うんざりもしていた。

杉子と仲のいい音楽教師が妊娠した際の会話でママが言ったこんな記述がある。

 わたし、周防がおなかにきたとき、ひどい状態でした。

 なにを教えたらいいか、わからない。わたしが育てた人間なんて、社会からどれだけ疎外されるだろう。言葉も通じない。わたしが神さまについて、思った通りを子供に語り、子供がその通りをだれかに語る。それだけで、もうその子は気違いあつかいされるんじゃないかって。

(中略)

 でも、まぁ、言ってしまえば気が変わったのね、峠を越したというか、強くなったというか。

 わたしはほんとうのことを隠さない。

 それに耐えられる魂だけ、わたしのおなかにおいで。

 じかんのすごし方について、楽土について、きっと何もかも、伝えてしまうからね、覚悟してねって。

 なまっちょろい子供なんか要らない。そんなのは厚化粧した女の腹にでも宿るがいいってね。

 最後のパンチがすごいんだけど、 自分の遺伝子が後に残っていくってことはある意味で、軽々と、気が変わったりしないと考えていられないくらいシビアな話で、子どもを大切に思えば思う程、産むこと自体が拷問なんじゃないかと思う時期があったりする。

(もちろんそうじゃない人生もあるんだってことは想像できる)

ざっくり言ってしまえば、この氷の海のガレオンの作者は、発達障害について書かれているだろうという作品を色々と書いている人だし、私も当事者だしで、そのへんの”普通とは違う特徴”の遺伝について不安だったのではないかと今は思うのだけど。

 

言葉ではなかなか言い表せない社会との隔絶を抱えている人って、今の世の中には沢山いるんだと思う。

私がこの本を大切にしたいのは、そういう人に共感できることが救いになるからだと思う。木地雅映子への共感が私の心を癒したように。

当時の私は、杉子に自分を投影していたけれど、今の自分は音楽教師の多恵子になりたいと願っている。自分の中の困っている子供は癒されつつあって、きっと次の段階に行けるようになったんだな。

杉子のような子供と友達になれる大人になりたい。

 

ブログをはじめてみました。

こんにちは。facebookでついつい長文を書いてしまうのだけど、考え事を書くと長くなってしまうので、つれづれなるままに書ける場を求めてブログを始めてみました。

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